ビオチン欠乏により発症する病とキシリトール
公正取引委員会が所管していたが、2009年9月1日に消費者庁に全面移管された。従来の業務は消費者庁表示対策課が引き継いだ。公正取引委員会による以前の「排除命令」は、消費者庁による「措置命令」へと名称が変更された(内容は同じ)。事業者(メーカー、販売・サービス業者)は売上・利益の増大のために、自らの商品・サービスの表示(商品名、キャッチコピー、説明文、写真・イラストなど)を消費者にとって魅力的なものにしようと考えている。また販売にあたって景品類をつけることもある。しかし、その表示が不当(虚偽・誇大)だったり、景品類が過大だったりすると、公正な競争が阻害され、消費者の適正な商品・サービスの選択に悪影響を及ぼす。景品表示法は不当な表示や過大な景品類を規制し、公正な競争を確保することにより、消費者が適正に商品・サービスを選択できる環境を守ることを目的としている。
欧州司法裁判所は基本条約や EU 法の解釈・適用を判断する機関である。欧州司法裁判所は加盟国政府による基本条約や EU 法による義務不履行に対する制裁措置を決定したり、また第一審裁判所での控訴審を担ったりしている。第一審裁判所はおもに企業や個人などが欧州連合の諸機関の行為に対する不服の訴えを扱っている。このほかにも欧州連合の諸機関とその職員とのあいだでの紛争を扱う欧州連合公務員裁判所がある。欧州会計監査院は欧州連合の諸機関の業務や予算の執行が適切であるかを監査する役割を担っている。これまで述べてきた以外にも専門機関が設置されており、欧州連合の基本条約の目的達成のために機能している。欧州連合の2007年の GDP (PPP) は14兆3800億USドルであり[2]、欧州連合を単一の国として数えるとアメリカ合衆国を上回って世界第1位となっている[3]。
日本における医薬品の売り上げは年間で7兆3000億円を超え、日本人はアメリカに次ぐ世界2位の「薬好き」とすら言われる[1]。それを証明するようにサプリメント(栄養補助食品)の売り上げも多い。この背景には2つの側面があり、1つは患者が薬を出される、およびそれを服用すること自体で安心感を持つためである。時には医師が薬は必要ないと判断した場合でも薬を処方することがあるが、それは「念には念を」の意味と、安心感を持たせる意味がある。安心すると言うことは精神衛生の面で大切である。しかしこの傾向が強くなりすぎると、患者が「薬がありさえすればいい」と思って精神的に薬に依存する。また薬を出すと病院も診療報酬が受け取れるためと患者が安心すると言うことで「とりあえず薬を出す」と思うことがあり、この悪循環が日本で薬を氾濫させた原因の1つである(もちろん他にも原因はたくさんある)。
欧州石炭鉄鋼共同体が設立され、西ヨーロッパ諸国では統合の効果とその重要性が認識されるようになり、1957年には経済分野での統合とエネルギー分野での共同管理を進展させるべくローマ条約が調印され、翌年1月1日に欧州経済共同体と欧州原子力共同体が発足した。当初これら3共同体は個別の機関・枠組みで活動していたが、1つの運営機関のもとでそれぞれの目的を達成することでヨーロッパの統合を効率的に進めるべく、1965年にブリュッセル条約が調印され、1967年に欧州諸共同体という1つの枠組みの中に3つの共同体をおくことで統合の深化が図られた。1973年1月1日、それまでのベネルクスと西ドイツ、フランス、イタリアの6か国に加えて、デンマーク、アイルランド、イギリスが欧州諸共同体に加盟する。また1981年1月1日にはギリシャが、1986年1月1日にはスペインとポルトガルがそれぞれ欧州諸共同体に加盟する。この間に議題にあがったのが、いかに経済統合を進めていくか、というものである。加盟国間における政策や法制度の違いは貿易の自由化を妨げており、世界における市場競争の障害となっているという意見が出るようになったことを受けて、欧州経済共同体では域内の単一市場設立構想が持ち上がってきた。これに対応するべくドロール委員会のもとで1986年に単一欧州議定書が調印され、ローマ条約を大幅に修正し、経済分野に関する政策を原則として欧州経済共同体が統括することで共同市場設立が掲げられた。また域内における人、商品、サービスの移動の自由を図るべく、1985年にシェンゲン協定が調印され、加盟国間の国境という障壁を除去していくことが盛り込まれた。1989年以降東ヨーロッパ諸国における政変が相次ぐなか、鉄のカーテンが徐々に取り払われていき、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊、翌年10月3日にドイツが再統一された。このさい東ドイツの各州が西ドイツに編入され、これに伴って欧州諸共同体は旧東ドイツにもその領域を拡大させた。東ヨーロッパ諸国の社会主義体制の崩壊は欧州諸共同体にとっても重大な影響を及ぼし、これら諸国が自由主義陣営につくことが想定され、ヨーロッパの統合は政治の分野においても協力関係を強化することが求められるようになった。そこで1992年2月7日にマーストリヒト条約が調印され、翌年11月1日に欧州連合が発足した。欧州連合では、経済分野に関して超国家的性格を持つ欧州共同体の枠組みのほかに共通外交・安全保障政策、司法・内務協力という加盟国政府間の協力枠組みを新設、いわゆる「3つの柱」構造のもとでヨーロッパのさらなる統合が図られ、またその後、ローマ条約とマーストリヒト条約は1999年発効のアムステルダム条約や2003年発効のニース条約で修正や一体化がなされ、統合の深化が進められた。